第9話 釧路へ 幻となった勝手丼

前日の夜は怖い話のせいでしこたまお酒を飲んでしまったので、少し頭がぼやっとしている。幽霊は出たのかどうかわからない。だってへべれけに酔っていたから。

テントから這い出して外に出ると、今日も空は暗い曇り空だった。朝食のご飯を炊いている間に荷物をパッキングしていると、ほかのテントの中でももそもそと動き出す音が聞こえてきた。ライダーの一人はすごく眠い目をしている。どうやら昨日の幽霊の話のせいで眠れなかったらしい。僕と昨日出会ったチャリダー(※自転車で旅をする人のことをチャリダーと呼ぶ。ライダーに対するチャリダーである)の少年はぐっすり眠れた。やっぱり自転車は疲れ方が違うのだろう。恐怖より眠気のほうが強かったみたいだ。

僕とチャリダーの彼と朝ごはんを食べていると、ライダーたちも目覚めてそろそろと活動を始めたみたいだ。みんな集まってきて朝ごはんを食べながら昨日の夜の話で盛り上がる。結局だれも幽霊には遭遇しなかったみたいだ。

話もほどほどに僕らはキャンプの撤収を始めた。もう北海道に来て数日がたって、荷物のパッキングの要領も大体つかんできた。全体の流れとしては、朝起きて、衣類等の必要の無いものは真っ先にサイドバックに放り込み、寝袋を外に出して干す。そして空っぽになったテントを床が上になるようにして地面に当たっていた部分を天日にさらす。そして朝ごはんを食べて乾燥した寝袋とテントをたたんで終了、いった具合である。

大体僕らもパッキングがほとんど終了し、そろそろ出発しようかというときに、前日に遅くに来たライダーが一足はやく出発するみたいだった。一緒に泊まったライダーと僕らは彼ら2人を見送りに行った。恐怖の夜を一緒にすごした仲間、という感じだったのでわざわざ彼らの出発を見送りに行ったのだ。



これから黄金道路。お金がかかったことも観光資源。

「気をつけてねー!またどこかで会おーねー!」と、今まさにお別れ、というシチュエーションだった。かっこよく颯爽と走り去るバイク見送るはずだったのが、このあと大変なことが起こった。オートバイのクラッチがつながって加速しようとした瞬間に、いきなり「バキ!」という音がして止まってしまったのだ。後ろを向いて手を振っていたライダーは前に吹っ飛びそうになった。僕らはあわててバイクに駆け寄ると、フロントブレーキが外れてぐらぐらしている。

前日遅く来た2人のライダーは、前日キャンプ場に入ることが出来ず、路上に止めていたのだが、盗難防止のためフロントホイールにバーロックをかけていたのだった。それを忘れていて、どうやらそのまま発進させてしまったみたいなのだ。

よくよく見ると、フロントのブレーキを固定する部分が壊れて外れてしまっている。これはショップに行かないと直りそうに無い。僕らはあせって「大丈夫?」というと、ライダーの彼は「うん、大丈夫、ダイジョウブ・・・」とは言っていたものの、明らかに目が泳いでいた。

この後、彼ら2人はゆらゆらとゆっくり走り去って言った。僕らも「気をつけてね・・・」と言ったのだが、これは本気で心からそう思った。

僕らは気を取り直して釧路に向けて走り出した。昨日出会った彼と方向が同じだったのでしばらく一緒に走ることにする。

襟裳岬から東側の海岸線を走る道は「黄金道路」という。僕ははじめ黄金道路という名前を聞いて、たぶんこの近くに金山か何かあって、掘り出した金をこの海岸線を通って運んだんだろう、と華やかな想像をしていたのだが、真実は違った。この道は海にせり出した断崖絶壁を横に這うように作られた道路で、いつ崩れるかわからない非常に危険な岩壁と、いつも波が荒れ狂う海に挟まれた非常に厳しい自然環境の中に作られている。当然このような道路を作るには莫大な費用がかかる。まるで黄金を敷き詰めて作ったくらいのお金がかかった道路、ということで「黄金道路」と呼ばれている。

まったく「百人浜」といい「黄金道路」といい、期待を裏切られてばっかりだ。

とにかく黄金道路に突入する。やはりすごい地形に作られただけのことはある。海側からは今にも波をかぶりそうなくらい海岸が近く、左は今にも崩れてきそうな岩が覆いかぶさっている。道は覆道につぐ覆道で、暗くて狭くて、結構交通量が多く走るに気を使った。しかも景色が悪いので楽しくなく、覆道は海の側の半分が開いているので、波の音が覆道に反響して轟音になり、後ろか来る自動車も気づきにくく、ずっと爆音と自動車の恐怖との戦いだった。

 




黄金道路を振り返る。よくこんなところに道を作ったもんだ。


 

黄金道路を抜けると、一緒に走っていた彼は帯広方面に行くというのでお別れした。旅人のいいところは、あまりべたべたせず、ぱっと引っ付いて、すぐにぱっと分かれられるところだ。そんなドライな感覚が僕は好きだ。

海岸線を東へ走るうちにさっきの断崖絶壁の海岸線から打って変わって、なだらかな平原のような海岸線になった。砂浜にはハマナスが群生をつくり、内陸側は草原が広がっている。道路は広くまっすぐで走りやすかったが、ずっと変わらない景色の中を走り続けるのは退屈だ。道の脇のハマナスの花を見ながら走る。

大きく湾曲した海岸線の向こう側に釧路の町が見えてきた。久しぶりに見たにぎやかな町だ。工業地帯があるのだろうか、遠くに小さく煙突がいっぱい見える。目を凝らすと煙突から煙が流れている。僕は旅をするときはたいてい都会を避けて走ることにしている。田舎のほうが走りやすいし、気持ちいいからだ。でも、浦河から寂しい景色の中を走り続けたので、そろそろ人恋しくなり、にぎやかな都会も悪くないかな、と、ちょっと思った。

釧路でどうしても行きたいところがあった。それは和商市場である。ここは大きな市場で、道東の魚介類がここに集まってくる。そしてここではどんぶりのご飯のみを購入して、市場のお店でちょっとずつネタを乗せてもらって(有料)自分の好きな海鮮丼、いわゆる「勝手丼」を作ることが出来るのだ。これを食べに行くのが目的である。今晩の晩御飯は勝手丼だ。幸せな海鮮丼がこの先にあると思うと、退屈な景色でもペダリングは軽やかになる。


夜の釧路の町。観光名所の幣舞橋。なんでこんな橋が観光名所なんだ!ケッ!という気分になっている。

釧路は都会である。適当なところにテントを張って眠るわけには行かない。通報されてしまうとややこしい。というわけで今晩はあまり好きではないが、ユースホステルに泊まることにする。

釧路は大きなビルが並ぶ大都会だった。例の和商市場は釧路駅の近くにある。夕方遅く、自動車のライトに翻弄されながら、狭い歩道を走ったり迷ったりしながら、やっぱり都会はもういいや、と思いかけたころ、ようやく市場にたどり着いた。

和商市場はやけに静かで、あまり人気が無い。はやる気持ちを抑え、適当な場所に自転車を置いて入り口に駆け寄ってみる。

和商市場はもう終わっていた。どうやら午後5時に終わりみたいであった。(つづく)

 

HOMEへ 目次へ