第8話 襟裳岬へ お化けの出るキャンプ場

 久々の布団から目が覚めた。前日はゆっくり銭湯に入り、安い割りに量が多くておいしい料理を食べたので朝から調子がよかった。

ライダーハウスのオーナーにお礼を言おうと、食堂のほうへ行くとオーナーはもう外出していなかった。かわりに奥さんにお礼を言って復活した相棒にまたがりこぎ始めた。

昨日走った道をもう一度走ることになるが、この先の路面状況や景色がわかっているだけ気分が楽だ。パンクした場所に再び着いたときは、あれ、こんなに近かったっけと思った。連絡してくれたおまわりさんにお礼を言おうと交番に立ち寄ると、そこは無人で「巡回中」と書いた札が置いてあった。けっきょく昨日助けてくれた人たちにはお礼を言うことが出来ず、先に進むことになった。

海岸線をさらに進んでいくにしたがって、道の脇に時折みる住宅も少なくなり、もうほとんど民家を見ることがなくなった。そして、地形も厳しくなってきたのか、波のうねりが大きくなるように、道路のアップダウンも厳しくなってきた。きつい坂を上りきるとはるか下に海を眺めることになり、海側は断崖絶壁になっている感じだ。そして遠く見渡せる海は曇り空のせいで、暗いねずみ色になり、いままで見たことの無いくらい大きなうねりで波打っていた。いつのまにか風景も殺風景になり、さびしい北の果てに来た感じがして急に心細くなってきた。道を走る自動車もたまにしか通らない。ふだんうっとうしく感じる自動車もほとんど通らないと寂しい。



襟裳岬。うねりがとても大きかった

 

国道から襟裳岬方面への分岐を岬方面にまがった。地図を見るともう襟裳岬は目の前だった。しかし、ここからの道のりが厳しかった。地形は海からそそり立つ台地のような半島で、しかもその台地はたくさんの割れ目があり、道路はその台地と割れ目を登ったり下ったりするように出来ている。一気に下るとまた台地に上らなければならない。その傾斜は10%はあろうかというきつい傾斜である。30kgくらいの荷物を後ろに集中して満載している僕の自転車は上り坂になると急に重く感じる。一番軽いギアにしてくるくるくるとゆっくり上ら無ければならない。速度にして7kmくらいか。冬の間の積雪や風がきついせいなのか、道路の脇は木も生えておらず、草原がひろがっている。道の脇にはススキのような植物が風で揺れていた。暗い曇り空と、寂しい草原の景色が気分を暗くさせた。きつい坂を上りきるたびにもう着くか、もう着くか、と期待するが、下り坂をみて失望する。こういうことを何回か繰り返して、そしてもううんざり、というところで襟裳岬の入り口が現れた。

灯台のほうへ走っていくと、駐車場には自動車はまばらしかなく、その脇のお土産やさんにも人が誰もおらず、無人のうえに演歌の「襟裳岬」がエンドレスで流れている風景はより寂しさを倍増させた。しかし、この場所が寂しければ寂しいほど、僕の旅心は満たされ、なんだかすごく遠いところまで来た感じがした。「孤高の旅人」になりきっていたと思う。たぶんよりちょっと僕はニヒルになっていたかもしれない。

さて、さっそく自転車を置き、灯台に向かって歩いていった。歩道の脇にはワタスゲのような植物が先に白いポワっとしたものをつけて風に揺られている。人口の音が一切無く、聞こえてくるのは岬を駆け抜ける風の音だけだ。一番先の展望台で三脚を使ってセルフタイマーで記念撮影した。展望台から先は断崖絶壁になっているが、あまりに深い崖なので打ち付ける波の姿までは見えない。




百人浜。とても寂しい。


 

これから今日のキャンプ地を探さなければいけない。地図をみると襟裳岬から7kmほど行ったところに「百人浜キャンプ場」というのを見つけた。ふ〜ん百人浜か・・・なんだか楽しい名前だ。まるで「ともだちひゃくにんで〜きるかな〜♪」という歌みたいだ、と思った。この殺風景と曇り空のせいで、少しでも楽しい雰囲気がほしかったのかもしれない。しかし、このキャンプ場の名前の由来を大きく勘違いしていたことを知ったのは、キャンプサイトについてからであった。

そんな勘違いを知る由もなく、僕はキャンプ場に向かって自転車を走らせた。相変わらず寂しい風景の中を走った。道の脇には番屋と思われる古ぼけた小屋や、民家が数軒あったが、それらがよりこのあたりの自然が厳しいことを教えていた。

もうキャンプ場まで数キロというだけあってスピードを上げて走った。すると前方に自転車の走る姿を見つけた。結構速度に差があるらしく、すぐに追いついた。前を走っていた旅人は大きな登山リュックを背負って走っている。年は僕と同じくらいだろうか。「こんにちは」と挨拶すると、向こうも寂しかったのか、明るく「こんにちは」といった。お互い寂しかったので一緒に行くことにした。当然目的地は百人浜キャンプ場だ。

キャンプサイトは森の中にあり、きれいな芝生のよく管理されたキャンプ場だった。あまり風の影響を受けにくそうな森の近い場所にテントを張る。彼もぼくのすぐ隣にテントを張った。テントを張ってしまうと、夜までやることがなくなってしまった。すると彼が、この辺の砂浜では蝶々貝という珍しい貝があって、結構高値で売られているそうである。僕らは海辺へ蝶々貝を探しに行くことにした。当然売るためではない、記念に持って帰るためだ。

海岸はすごく広く、大きな砂浜が広がっていた。この辺の地質のせいか、砂は深い茶色でかなり遠くで波の音が聞こえる。遠浅なのかほとんど平面のような砂浜だった。ここもまた殺風景で、すこし蝶々貝をさがしたが、淡いピンクの貝は見つからず、白い蛤のような貝しか打ち上げられていなかった。

キャンプサイトに戻ると、数人のライダーがテントを張っていた。しかもかなり広いテントサイトなのに僕らに近いところにテントを張っている。寂しいのだろうか。近づいて挨拶すると、ライダーの一人は言った。

「ここは出るらしいよ」僕らは固まった。


二人で蝶々貝を探したが見つからなかった。そのでかいリュック置いてきたら良いのに

彼の教えてもらった話しでは、実はこの百人浜というのは、昔この浜の沖で船が座礁し、たくさんの人が流れ着いたのだという。多くは生きたままこの浜にたどり着いたものの、寒さや飢えで、たくさんの人が亡くなってしまったのだそうだ。そのときの霊がいまだに食料を求めてさまよっているのだという。しかも昔は道路より海側にテントサイトがあったのが、現在道路より森側にあるのは、あまりにも「出る」せいだったとか。(※これは後から知ったのだけど、たんに海側は風がきついからだそうだ)

僕らは引っ付くようにテントを張った。テントの入り口を中心に向け、お互いが見えるようにテントを設営し、みんなで夜遅くまで話をした。たぶん静かになるのが怖かったのだと思う。

もう晩御飯も食べてお酒を飲みながら話していると、キャンプ場のほうに2台のオートバイが来た。どうやら入ろうとしているのだが管理人が鎖をかけてしまったらしく、入ることが出来ないらしい。後から来たオートバイのライダーは入り口にバイクを置き、僕たちの近くにテントを張った。

僕たちは自分たちだけ怖いのは悔しいから、そのライダーにも怖い話をした。どうやら彼らも知っているらしかった。結構その手の話で有名なキャンプ場みたいだったが、もう夜中になってしまったので逃げ出すわけにはいけない。僕たちはしこたまお酒を飲んで眠った。(つづく)

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