第7話 海岸線の道  初めてのトラブル

ふっと目が覚めてびっくりした。そうだ、いま旅をしていたんだ。
目覚めていきなりテントの中であせった。ずっと奈良の実家の夢を見ていたみたいだ。たぶん前の日に親に電話したからだと思う。

テントの外に出た。苫小牧のちょっと寂れた漁師町の場末の公園という感じだった。滑り台や遊具は常にあたる潮風のせいで錆だらけになっていて、動かすとぎこぎこ音がなりそうだ。漁具を入れてある木で出来た倉庫も、長い年月の間潮風を当たっていたせいで、もうくたびれた、という感じだ。

とりあえず海へ出たから海岸線を進んで襟裳岬を目指そう。

旅人は一周や縦断、横断、もしくは最南端などの最○端という言葉に弱い。やっぱり○○縦断!××一周!といったほうがなんかすごいことをやった感じがし、自分の自己満足を満たしてくれる。人に自慢するときも説明がわかりやすいし箔がつく。だから僕も北海道一周したほうがかっこいいと思ったのだ。

朝食を済まし、片付けに入ろうとしていたら、昨日の小学生3人組が現れた。「おはようございます!」と元気よく挨拶した。僕も負けじと「ああ、おはよう!」と挨拶した。すると、3人のリーダーだった子が、「これ、お土産」と袋を渡してくれた。たぶん昨日に親に僕のことを話して、持たせてくれたのだろう。中にはおにぎりと、ゆでたとうもろこし、それからなぜかガラスでできた札幌時計台のプレートの置き物(これは非常にかさばる上にデリケートで、旅の途中で割ってしまい、捨ててしまった。)それからTシャツとペットボトルに入ったお茶だった。Tシャツはもともとは白いTシャツだったが、物凄い落書きがしてあり、がんばれとか、日本一!(意味不明)などの言葉がところ狭しと書かれてあり、到底着れる代物ではなかった。

彼らからもらったプレゼントはうれしかったが、彼がもう片方の手に持っていたメロン2つ入った箱も気になっていたが、それはくれなかった。



海岸線の道広々としているが細かいアップダウンが続く

 

ようやくテントを撤収し、海岸線の道を走り始めた。海岸線の道は緩やかなアップダウンが続き、交通量が多いが路肩がとても広いため気持ちよく走ることが出来る。北海道の道は路肩がとても広い。それは土地が広い、というだけではなく、冬場に除雪したときに雪の置き場となるからである。夏はさながらサイクリング道並みの広さがある。定期的に並ぶ排水溝の穴さえよけて走れば気持ちよく走ることが出来る。

しかし、海岸線は地図で見る限りでは平坦で走りやすいように思えるが、実際は細かいアップダウンが連続する。小さな岬や丘がたくさんあるが、地図の等高線にのらないくらいのアップダウンが続く。

海岸線の道は結構足に疲労がたまりやすかった。大きな峠だと、がんばっているうちにどんどん周りの風景が低くなり、達成感があるので少々つらい上り坂でも我慢して走ることが出来るが、海岸線の道というのは、少し上って少し下る、の繰り返しになる。丘みたいな坂を越えて下っていると、もう次の上りが見えていたりしてうれしくない。それともうひとつ、それは変わらない景色。北海道特有といえば特有の海岸線ではあるが、海は本州のツーリングで何度も見ているので、僕の思っていた北海道の景色ではなく、刺激的ではない。しかも南国の目の覚めるようなエメラルドグリーンというものではなく、深い地味な寝ぼけたような寒々しい色だ。しばらくみているとすぐ飽きてしまう。

でも、やっぱり北海道に来たということで喜んで、歌を歌ってごまかしながら海のほうを見ずに、時折見える牧場や遠くの山のほうを見ながら走った。

その日はあまり距離が伸びず、静内町の広い川原の芝生にテントを張って一泊した。





日高の牧場。競馬馬の生産で有名だ。


 

次の日、また昨日と同じような道を走るのか、と少し気が滅入りながらも走り始めた。前日一日走ってもう慣れたのか、結構気分よくすいすい走行した。途中日高町という町を通ったが、この町は馬の牧場が盛んで、競走馬を主に生産している。たしかオグリキャップ(だったか?僕の知っている競馬馬はこれくらい)などの有名馬がここで余生を送っている(らしい)。競馬に興味の無い僕は素通りした。

浦河町という町を越えてしばらくしたところで、突然プシュウ、と後輪がパンクした。普段からパンクなんてトラブルに入らないと思っていた僕は、ふん、いつものパンクか、という感じでタイヤをチェックした。チェックしたとたんに、僕は固まってしまった。タイヤが前後8cmほど裂けている。これでは修理が出来ない。チューブを入れ替えてもまた破裂してしまう。どうやら荷物から飛び出た突起物が、ずっとタイヤにこすれて起こってしまったみたいだ。むむむ〜どうしたことか・・・。周りを見渡すと、左側には広大に広がる牧草地帯、その向こうに山。右を見ると果てしない海岸線。この先町なんてありそうな気配が無い。ましてや自転車屋なんて・・・。自転車を押して引き返すか?浦河という、最後の自転車屋のありそうな町から10kmほど来ている。

まあ、その前に腹ごしらえでもしようと、道の脇に座ってコンビニのジンギスカン弁当を食べた。お弁当を食べて落ち着いたところで、ふと進行方向の道路を見ると、家が数軒あって交番らしきものが見える。行ってみよう。
中には人のよさそうなおまわりさんが座って何か書類を見ていた。とりあえず馬鹿な質問だとわかっていてもこう言うしかなかった。「すみません、このあたりに自転車屋さんはありませんか?」

「おう、パンクしたのか、ちょっとまってな。浦河でライダーハウスを経営している人がいるから相談してみるわ」とおまわりさんが言って電話をかけてくれた。しばらく話した後(何か世間話もしていたが・・・)電話を切って、「ここまで迎えに来てくれるそうだ。」と言った。ああ、助かった。

30分ほど自転車のところで佇んでいると、ライダーハウスのオーナーが軽トラックに乗って迎えに来てくれた。自転車を荷台に積みこむ。荷台で横たわっている汚れた僕の相棒は、弱ったけが人のように見えて痛々しかった。助手席に乗るときにおまわりさんに頭を下げると、彼は手を振ってくれた。



何も無いところ。ここから少し行ったところでパンクしてしまった。


軽トラックはビュイィィーとフル回転しながら走り続けた。僕がさっき走ってきた景色が後ろに飛んでいく。

「何だ浦河を通ってきたのか、じゃあ戻ることになるな」といいながらオーナーは笑った。むしろ先の街に進んで空白の区間が出来ることを思えばぜんぜん平気だった。「俺は風呂屋と食堂もやっているんだ。うちで飯くったら宿泊はタダだからよ、来る途中見なかっただろ、だってうちの店は浦河のメインの通りから一本うらっかわにあるからよ」僕はこれを聞いて「浦河のうらっかわ」という親父ギャグがずっと頭の中を旋回していた。

ライダーハウスといっても6畳くらいの部屋にベッドが置いてあるだけだったが、テント泊が続いていたので屋根と壁と床があるだけで幸せだった。久々の布団でぐっすり眠ることが出来た。(つづく)

 

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