第4話 支笏湖へ 〜筋子丼危機一髪〜

北海道で始めての朝を迎えた。本州の灼熱の気温に比べ、少しひんやりしていた。朝は簡単にパンですませ、I君とKさんに「おはよう!」と元気よく挨拶した。二人とも朝が強いらしく、パッチリ目が覚めているみたいである。

さあ、これから北海道旅行の始まりだ!という気持ちからか、朝からテンションが高い。あとの二人も僕に負けないくらいのテンションだ。どういうルートを走るかI君に相談した。すると、札幌の都会を回避し、山の中を抜けて支笏湖(しこつこ)に抜けるルートが快適ということだったので、そのルートをとることにした。でも、出発の前に、せっかくだからキャンプ道具を置いたままで、明るい小樽運河を3人で見に行くことにした。旧い赤レンガ倉庫と運河を目の前にして、相変わらず僕らは、「るるぶ」に出てくるお姉さん状態あった。


朝の小樽運河まだ人が少なかった

 
公園に戻り、キャンプ道具などの生活道具を自転車に積み込み、支笏湖に向けて出発した。走り出してしばらくは海岸線の交通量の多い広い道を走る。僕は完全に浮かれて、「この海の中にウニとカニがわんさといるんだろうな」と、わけのわからないことを口走りながらながら走った。北海道+海=ウニというなんとも単純な発想である。

 しばらく海岸線を走ると、今度は朝里峠に向けて内陸方面へ道を折れた。海を離れ峠に向けて進むので、どんどん森が深くなり、うっそうとした森の木々を見ながら走ることになる。でも、北海道特有のすばらしく広い道路、きれいなアスファルトで、登りといえどあまりきつくなく快適である。僕はまだ浮かれた状態のままで、「あの山の中にはヒグマがいっぱいいるんだろうか」と、こんどは北海道+森=ヒグマである。いいかげんあきれたI君は「ああ、いるんじゃない」とそっけなく返事するだけだった。

 しばらく走っていると、右側に「魚留の滝」という看板があり、その横にはヒグマ出没注意!と赤字の大きな看板が立っていた。少しだけ肝を冷やした僕はI君に「やっぱいるんやねえ」というと、「よし、歌でも歌おう」と言うので、僕が「あるーひ、もりのなーかー!」とお決まりの歌を歌った。すると彼が「それはしゃれにならんだろう」と真顔で言った。実は彼も少し怖かったんである。




フェリーターミナルの横の公園。まるでキャンプ場


でも話しくらいはしようということで、「あの歌の ところが〜クマさんが〜後から〜着いてくる〜、というところがなんとも恐怖だよね」という話しに始まって、ヒグマに出会ったときの対処法などを話していると、ようやく朝里峠に到着した。峠は開けていて、振り返るといままで自分たちが走ってきた道が見える。さすがに寒いところなので針葉樹林帯が目立ち、山の上のほうは木が生えておらず笹の草原のようになっていた。



朝里峠は開けて明るかった。なぜかバス停がある。

峠からは一度札幌近郊までダウンヒルが続く。緩やかで見通しのよい下り坂がすこぶる気持ちがいい。重い荷物を積んだ自転車は上り坂では重力との戦いだったが、今度はこの重い重力を味方につけて一気に下った。下りきると、札幌近郊で少し都会だった。ここからは支笏湖に向かってもうひとつ峠を越えなくてはいけない。しかしその前に、このあたりで買出しをしなければいけなかった。I君が「ここが最後のスーパー」というスーパーに入った。

僕は地方に旅行に行くとスーパーに入るのが大好きだ。それは地方によって見たことも無い食材などが売ってあり、それを見るのが楽しいのだ。だからいつも、まず魚売り場に行き、そのあと野菜売り場へいく。農家の直売所なんか見つけたら、たいていは寄り道する。

今回も真っ先に魚売り場へ行った。すると、筋子がパックに入って売られていた。筋子とは、ばらばらの粒状になる前のイクラである。要はつながったイクラである。しかもこの量だと2回はどんぶりが出来る。しかも安く、たしか500円程度だったと思う。僕はこれを見た瞬間に今晩の献立は決まった。魚売り場の前で3人で騒いでいると、横にいたおばさんが話しかけてきた。「ちょっとぼくたち、この筋子今晩食べるの?」僕たちは少し驚いて「え・・あ、はい」「これね、生だからこのままでは食べられないのよ。今晩食べるならこっちの醤油漬けにしなきゃ」「あ、ありがとうございます」「君たち言葉が違うからたぶんよそから来た人だと思って」そういっておばさんは笑って教えくれた。危なかった。もしこのまま買っていってキャンプサイトでご飯を炊いて、その炊き立てのご飯の上に乗せて、一口目を口に入れる瞬間にこの事実を知ったとき、イクラどんぶりがふいになり、しかも食べられなくなるばかりか、晩御飯そのものがなくなるという、最高の幸せから不幸のどん底へのギャップの大きさは計り知れない。いまでもあのおばさんの親切に感謝している。

さて、何はともあれ醤油漬けの筋子を購入し、筋子丼に向かって、いや、支笏湖に向かって走り出した。



北海道の峠はひたすら森の中を走る

 また市街地をはずれ峠道に向かう。景色もよく、美しい森を見ながら走るのはすこぶる気持ちよかったが、どうしても女の子のKさんが遅れてしまう。しばらく走っては後ろを待ち、を繰り返していた。しだいに太陽は西に傾き、最後の峠についたころにはもう真っ暗であった。でも、これを下れば支笏湖であり、今晩の宿泊地だ。彼女を励まして、支笏湖に向かって長いくだりを下り始めた。暗いのでライトの明かりを頼りにそろそろと下っていたが、とても月が明るく、森が青白く輝いていた。中腹まで下った辺りだったろうか、森が途切れた瞬間、目の前に月夜に輝く支笏湖が現れた。それはあまりに幻想的で、まるでシャガールの絵のようだった。(大げさではない)

 下りきるとすぐにキャンプ場があった。僕らは湖畔の砂浜にテントを張り、幸せの筋子丼に舌鼓を打ち、月夜に輝く樽前山を肴に札幌クラシック(※北海道限定ビール)を飲みつつ北海道の夜は更けていった。(つづく)

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