第13話 カムイワッカの滝

北海道を走ってきてひとつわかった事がある。北海道を旅する上で、有名な観光地は感動が少ないことが多い、ということだ。有名な時計台や運河などである。釧路湿原や、支笏湖などの雄大な自然で有名なところは良いところ多いのだが。とくに秘境とか、秘湯とガイドブックにでかでかと載っているところは最悪である。ここウトロなんか秘境で秘湯なんである。北海道の観光地の多くの例に漏れず、でかいホテルが立ち並び、どこが秘境だ!とホテルの一群に向かって叫びたくなる。

ではなんでこんなところまで足を伸ばしたかというと、「カムイワッカ湯の滝」という温泉に入りたかったからである。この温泉はすでに有名なのだが、キャンプ場で出会ったライダー達からは、あそこは良いと口コミで教わっていたからだ。さて、この温泉、何がすごいのかというと、滝そのものが温泉で、滝つぼに入浴するというこの上なくワイルドな温泉なのである。しかもそこまで行く道は舗装されておらず、そこで行き止まりなのでツアーなどの観光ルートから外されがちで観光客が少ないのである。だからまだ秘境で秘湯の雰囲気が残っているのだそうだ。というわけで、ぜひ行ってみたいと思っていた。



海も空もとても青い。ウトロの街を抜けたところ

ウトロのホテル街から海岸線をさらに半島の先に向かって走る。地図で見るともう目と鼻の先のように思っていたが、これが結構遠い。ウトロの町を出て、知床峠の方向へ走る。大きな川に架かる橋を超えて峠に上り始める。しばらく登ったところで知床自然センターという建物があり、そこから知床五湖方面へ曲がるのだが、このあたりの道はアップダウンのスケールが本州のそれとは異なり、すごく大きい。景色が雄大だと、大きなアップダウンも小さく見えてしまう。近づいてみて上りの長さに面食らうのである。

知床五湖から先は未舗装路になった。ここから道は狭くなり、鬱蒼とした森の中を走る。朝早くキャンプ場を出発してきたのでまだほとんど交通量もなく、静かで不気味な森の中だった。たぶん普通の森だが、この中にヒグマが潜んでいると思うととても恐ろしい不気味な森に見えてしまう。ここは道内屈指のヒグマの生息地域で、いつ遭遇してもおかしくないらしいのだ。(実際北海道に移り住んだとき、仕事中このあたりでヒグマと何度も遭遇した)




カムイワッカの滝の上。足元や壁から熱い温泉が湧いている。

路面は砂利が敷いてある広い道だが、木が高く、深い森が道を覆いかぶさっている。そして道路わきには北海道特有の巨大なフキがたくさん生えていて、何かが潜んでいそうな気配がする。藪の中から巨大な生き物が僕を狙っているのではないだろうか、と怯えながら走った。道路に敷いてある砂利が深くペダリングがとても重く、タイヤがとられそうになる。ヒグマとであったらちゃんと対応できるだろうか、という不安もあった。

ここに来るまでの間、ライダーや旅人と会っていろんなヒグマの話を聞いた。ヒグマは時速60km/hで走ることが出来るからオートバイでも逃げることが難しい、ヒグマも人間を恐れているから存在をアピールすると向こうのほうから姿を消す、ヒグマのスピードはあまり速くないけどいつまでも追いかけてくるので逃げ切れない、木の上に逃げても登ってくるから無駄、死んだ振りをしても意味が無い、いや、死んだ振りしたほうがよい、むかし、ワンダーフォーゲル部のグループがヒグマに襲われて全員亡くなった事件がある、ヒグマは下りの左カーブに弱い、などなど、信じられるものから???なものまでいろいろな噂を聞いた。中には、ヒグマが目の前に来たときは、ティッシュをばら撒くと冬と勘違いして冬眠に入る、という「ならお前やってみろよ!」言いたくなるものまであった。とにかく、旅人の間ではヒグマは恐怖であり、だからいろんなうわさに尾ひれがついて、怪物のようになってしまったのだろう。当然、僕も恐怖であった。でも、日本にこんなに恐怖を感じることが出来る自然が残っていることがうれしくもあった。


カムイワッカの滝の湯船。お湯は強い酸性。そして深い

そのとき、バサー!僕の真横で突然大きな動物が動く音が聞こえた。僕は1mほど飛び上がった(ような気がした)。シカが走っていく。やっぱり怖い動物のいない地元の山がいいな、と、ちょっと気持ちがひるむ。

このあと、僕はカムイワッカの滝までのあいだ、神経を研ぎ澄まし、どんな音や気配を見逃さんと、緊張しながら走った。また、ここで襲われたら荷物を棄てて・・と、逃げるシミュレーションもしながら走った。

何度も見通しの悪いカーブをこえ、何度もシカにおどろき、突然カムイワッカの滝に到着した。道はカムイワッカから流れてくる沢に橋が架かっている。道の脇は沢の温度が低く、入ることが出来ない。川は緑色している。どうやらここからいい湯加減である上流に歩いていかなければいけないらしい。

川の中を歩くと、お湯はぬるく、川底はぬるぬるしている。かかとまであるサンダルを持って着てよかった。川のヘリはもっとぬるぬるで危なっかしい。目的の滝つぼに行くには、かなり危険な沢登りをしなければならない。ぬるぬるの斜面と下に見える沢に怯えながらもなんとか目的の湯船に行くことが出来た。


知床五湖。奥に見えるのは知床連山。

高い滝つぼが湯船になっていて、ちょうどいい湯加減だ。でも、まだこの上があるみたいだ。かなり高くて危険な崖だけど、誰かが登った後がある。とりあえず行ってみよう。もっといい湯船があるかもしれない。

三点支持でおそるおそる滝の上まで登ると、そこは温泉が崖の斜面からたくさん湧き出ていて、足元の沢に流れ落ちていた。ここで沢の水と崖から湧き出た温泉とが混ざって下の滝つぼでいい湯加減になっているみたいだ。ここでは入れないから下へ戻ることにする。

滝つぼの脇の岩で服を脱ぎ、湯船に入った。深い。足が届かないからヘリにしがみつかないといけない。一度真ん中まで行って鼻がつかるくらいまで沈んでみたけど足が届かなかった。しばらく遊んでいるとあることに気がついた。全身が痛いのだ。もともと僕は肌が弱く、汗疹が出来やすい。何日も自転車に乗っていると、リュックの肩の部分などこすれるところが軽く皮膚炎のようになっていて、かゆくなるところがあった。その部分がぴりぴりというかビリビリ痛いのだ。長く入っていられない。お湯はたぶんすごく強い酸性なんだろう。



オホーツク海に沈む夕日。ちょっと感動した。

カムイワッカの温泉に入って、しばらく経ったとき、自分の身体の皮膚炎がすっかり治ったのだった。すばらしい効能だった。痛くてもいいから皮膚炎をすばやく治したい人はお勧めである。これだけきつい酸性なら水虫くらいも治せそうである。

この温泉ははあ〜ビバノンノンという温泉ではなく、自然を感じるためと皮膚炎を治すための温泉だった。 (つづく)

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