第10話 弟子屈へ 幸せの勝手丼と雄大な釧路湿原

ユースホステルのベッドで目が覚めた。時計を確認する。ここでは朝ごはんは食べない。今日の朝ごはんは和商市場の勝手丼だ。ここで食べないと、いったい何のためにここまで来たのかわからない。わざわざあまり好きではないユースホステルにまで泊まったのに。

僕はあまりユースホステルが好きではない。あの妙にアットホーム過ぎる感覚。ルールがたくさんあり、ペアレント(オーナー)のあの「泊めさせてやっている」いう感じ。(すべてがそうではないが、僕の泊まったところはそんな感じだった。)着くなり「ご飯はいついつからで、食べた後はここで食器をあらって、お風呂は男はいついつからで、お酒を飲むのはだめ、消灯は何時からで、起床は何時で、寝た布団はこうたたんで・・・」息が詰まりそうである。なんだか人の家に泊まらせてもらったときのような堅苦しさがある。挙句の果てには夜にミーティングがあるから来い、と部屋まで呼びにきて、自己紹介などをした後に、ペアレントの弾くギターに合わせて歌を歌う羽目になったりするのである。これなら無理をしてでもテントに泊まるべきだった、と後悔する。

僕が釧路で泊まったユースではそういうことは無かったが、無愛想なオーナーの態度で「ああ、無駄なお金を使ってしまった」という気持ちになった。


 それはともあれ、今度こそ和商市場である。どきどきして昨日通った道を行く。すると、和商市場の入り口は昨日と違って明るく、賑やかだった。ガラスの扉の向こうには、あの市場特有の裸電球とたくさんの行き交う人が見えた。僕もはやる気持ちを抑え、自転車をとめて中に入った。



和商市場は観光客相手かもしれないけど結構楽しい。手に持っているのは勝手丼。

中はたくさんの人と、魚介類と、そして親父の客を呼ぶ威勢のよい声であふれていた。いろいろ見て歩くと、いろんな魚介類がところ狭しと並んでいる。毛がにやタラバガニ、シャケやマスなどの定番の魚がメインだが、そのほかにも見たこともない真っ赤な魚、巨大なタコ、まだ水の入った箱の中でカラを開けているほたて貝、巨大なハマグリみたいなホッキ貝、グロテスクなホヤなどなど、店頭に並べられた魚介類を見ているだけで楽しかった。売り場の前を通ると、必ず声をかけられる。向こうは観光客相手にかなり経験を積んでいるらしく、絶妙のタイミングで「ぼく、旅行なの?」と、声をかけ、ほいほいと引き込んでしまう。こっちも必死で「この生き物なに?」とかごまかしながら間合いをとる。間違ってもイクラやカニに興味を持ってはいけない。もしそれが悟られてしまうと、いきなりカニの足をバキ!と目の前で折って見せて手渡される。イクラなら、いきなり売り物からレンゲですくって手に乗せてくれる。その後「うまいだろ!?」と言う親父の目は「もう逃がさん!」となっているのだ。「親に送ってやりなよ。安くしとくから」といわれたときはもう負けである。

さて、そんな親父からの声をかいくぐり、いよいよ勝手丼を食べようとご飯を買いに言った。勝手丼をするにはまずご飯を買わなければならない。「大」のどんぶりを購入し、どんぶり片手にさっきの売り場でネタを物色しに行く。もともとちゃんと勝手丼用に小分けになったネタが用意してあって、値段も書いてあるのでわかりやすい。このネタも交渉しだいなら半分ずつにして織り交ぜることが出来るので楽しい。昨日の悔しい思いも手伝ってか、結構豪勢な「勝手丼」が出来上がった。市場の中心にはちゃんとテーブルとイスがしつらえてあって、食べるスペースが用意してある。周りのテーブルをみると、ほかの旅行者が勝手丼と格闘していた。


さて、念願の勝手丼に満足し、そろそろ出発したかった。大勢の人に疲れ、釧路を抜け出して静かな場所に行きたかった。郊外の開けた景色が恋しくなっていた。

 




釧路湿原の展望台。なぜか湿原をバックに取らなかった。


 

では、これからの進路をどうしよう。北海道一周するなら、このまま海岸線を走って根室方面である。でも、これなら釧路湿原を見ることが出来ない。もう海岸線は正直飽きた。苫小牧から何日も海を見ながら走ってきた。よし、こんどは地平線を見よう。内陸へ行こう。釧路湿原だ。

というわけで釧路湿原から摩周湖のある弟子屈方面へ道を選んだ。

賑やかな交通量の多い道を何とか走りぬけ、釧路川の橋を渡ると、急に景色が広がってきた。そこからはもう郊外で、すぐに家がまばらになった。まるで釧路は荒野にそびえる巨大都市という感じであった。振り返るとどんどん釧路の町が遠ざかっていく。地図で見ると、弟子屈に向かう道は釧路湿原の脇を通るように出来ていて、ほぼ平坦のように見える。ところが、地図の等高線に見えないくらいの小さな丘をいくつも越える。それが結構足にこたえる。景色は見渡す限り広大な大地が広がっていて、パンフレットに出てくるような、これぞ北海道!という景色が広がっている。これだ!この景色が見たかったのだ!とあらためて北海道の景色に感動した。しかし、残念なことに天気は青空ではなく、どんよりとした曇り空である。道東の太平洋側は夏の時期、あまり晴れることがない。途中、展望台という看板があったので自転車を止めて見に行った。そこは小さい丘になっていて、釧路湿原が見渡せるようになっていた。そこから見える景色は、どんよりしていてパンフレットで見るそれに比べてあまりきれいではなかったが、雄大な景色を見ることが出来た。

弟子屈の町に着いた。別になんの変哲もない小さな町であった。この町から摩周湖方面、阿寒湖方面、知床方面、と好きな方向へ進路を取ることが出来るターミナルのような町だ。もう夕方が近く、そろそろ今晩泊まるキャンプ場を探すことにする。地図を見ると、ここから20kmほど行ったところに屈斜路湖という湖があって、和琴半島という下からマッチ棒のように突き出た半島にキャンプ場があったので、そこを今夜のキャンプ地にすることに決めた。なぜそこに決めたかというと、キャンプ場の周りに温泉マークがいっぱいあり、硫黄山などの観光地も多いからだ。


摩周を越えてもうすぐキャンプ地。夕立が降った。

和琴半島キャンプ場は屈斜路湖の湖畔にある静かなキャンプ場だった。地面が浜なのでテント設営にむいていて、美幌方面の山並みが美しく、とても気持ちのよいキャンプ場だった。でも、僕がこのキャンプ場で一番魅力に感じたのは、キャンプ場の脇に無料の温泉があることだ。平原にぽっかりと湯船がある感じである。しかも、地元の人も利用している。地元のおばさんたちは平気で一緒に入ってくる。一番驚いたのは、温泉の脇に車が止まったと思ったら、まさか家からその格好ではないだろうが、わらわらとみんな裸で下りてきた。家の近くにこんな温泉があるこの辺の人はうらやましい。

だから、夜、キャンプをしていて、寒くなったら自転車でつつつ、と湯船の脇まで行き、服を脱いでお湯にザブン、という幸せのシチュエーションだった。温泉にじっくり入って、ほてった身体のまま寝袋に入ってぐっすり眠った。(つづく)

 

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