第1話 | 出発 |
夜遅く、敦賀のフェリー乗り場に着いた。着いたといっても自転車でここまで来たわけではない。じつは親に車で送ってもらった。これから1ヶ月ほどかけて北海道を自転車で旅しようというのに、家から敦賀までの間は親に送ってもらったのだ。もともと僕の親は行動的で、たいてい旅行に行くときなどは近くの駅や空港など、交通機関の乗り場まで送ってくれる。しかし、今回は奈良から日本海であり、高速を使っても何時間もかかるちょっとした小旅行である。これはちょっとやりすぎか。でも、10代でまだ親離れが出来ていない僕は「送ってあげようか?」の一言がうれしく、甘えることにした。この長い旅が終わるころには変わっているだろうか。 夜の敦賀の港は暗く、フェリー乗り場のある建物だけ煌々と電気がついていた。そしてその建物の向こうには、まるで巨大なビルのようなフェリーが出発のときを待っていた。それは、今にも動き出そうとゴゥゥンゴゥゥンと胎動している巨大な動物のように見えた。よく見ると、フェリーのほとんどの窓の電気がついていて、次の乗客のための準備をしているのであろう、窓の中をスタッフが忙しそうに走り回っていた。甲板の上や岸壁でも作業員が出発のための点検作業で忙しそうであった。トラックなどはもう積み込み始めていた。 僕は駐車場の隅で、車からばらした自転車を降ろし、前後ホイールを取り付け、サイドバッグをキャリアに引っ掛け、テントをキャリアの荷台にくくりつけて旅仕様の自転車を組み立てた。少し敷地内を走ってみる。ひとこぎ目は荷物のせいで重いが、速度が乗るとすいーと走り続けた。どこかトラブルがないかチェックし、とりあえず自転車を立てかけた。 ここで親と別れ、親の運転する車が闇の中に消えていくのを見送った。 車が見えなくなってから、自分の中のスイッチが切り替わったような気がした。回りを取り巻く空気が変わったような気がした。急に周りの音が大きくなり、肌に感じる気温が低くなった感じがした。このとき、一人の普通のまだ親離れできない少年から、一人の旅人になったような気がした。 実はこの旅が初めての旅ではない。1泊〜3泊くらいの小さい旅はしょっちゅうしていた。いつもだが、旅に出るときというのはなんともいえない気持ちに襲われる。見たことも無い風景やものに出会える期待と興奮、何が起こるかわからない未知への不安、いつ襲われるかも知れないトラブルの恐怖、それでも道の先に広がる地平線や、広大な空の先に行ってみたい好奇心・・・いろんなものがない交ぜになってなんか身体をよじりたくなる感覚。この感覚・・・・嫌いではない。 僕は旅の相棒のMTBにまたがり、フェリーターミナルに向かって漕ぎ出した。フェリーターミナルの近くには、これから乗り込もうという自動車が並んでいて、入り口近くにはキャンプ道具などの生活道具を満載したオートバイが4・5台並んでいた。「あ!同類だ!」僕はうれしくなってロビーに入っていった。 |
フェリーターミナル入り口の僕の相棒 |
建物の中は広く、意外と人はそんなに多くは無かった。やはり旅行者が多く、ほとんどが自動車での旅行者で、車で待っている人が多いのだろう、待合室のイスは空いていた。 乗船手続きを済ませ、また下のロビーに降りてきた。広いロビーの隅っこでライダー風の旅人がマットを敷いて寝ていた。外に置きっぱなしになっている自転車が気になって外へ出た。 相変わらずフェリーの中は忙しそうだった。僕は愛車にまたがり、どこ行くとも無くふらふらと転がした。すると、同じように荷物を満載した自転車に乗っている少年がいた。僕は仲間の発見にうれしくなり、喜んで声をかけた。たぶん絶滅危惧種の生物が同士を見つけたときもこんな感じなのかもしれない(いや、それはもっと重いか)。 彼はI君。北海道の大学の院生で、こっちの故郷に里帰りしていて、これから北海道に帰る予定だという。本州ではキャンプしながら自走で実家へ帰ったらしい。 仲間が出来て急に気が楽になって、いろいろ話をしながら、乗船するまでの時間を楽しくすごすことが出来た。 ターミナル周辺などで遊んでいるうちに乗船時間になり、僕らはオートバイなどが乗り込む場所に並びに行った。すると女の子が一人、乗船の案内役のおじさんと話していた。彼女の傍らには荷物が満載のMTBがあった。 彼女はKさん。社会人で、少し多くの休みをもらい、自転車で札幌周辺をツーリングする予定だという。岐阜の自宅からこのターミナルまで自走で来たのだという。親に自動車で送ってもらった僕とは大違いだ。 女の子の仲間まででき、僕(僕ら?)は思った以上に楽しい北海道までの船旅になりそうだった。もうこのときには、駐車場で親と別れたときの寂しさなんかどこかへぶっ飛んでいってしまっていた。(つづく) |
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